【お酒失敗談】下弦の月

読書仲間であり私が勝手に「先生」と呼び慕っている のりまき さんにエピソードを頂きました!

のりまき さんのインスタはこちら:@kawahara.book

今でも思い出すと恥ずかしい……。

それは、僕が社会人になって2年目の時。
1年目は仕事を覚えることに必死で、恋愛なんて頭になかった。
そんな僕にも好きな人ができた。
 同じ職場に配属されたTさんは、明るく笑顔が素敵で、こんな僕にも気さくに話しかけてくれた。
「あれ〜、川原君、今日は元気ないね〜。どうしたの? 悩みなら聞くよ」
「えっ!? いや、別に……」
「ほんとに? 行こうか飲みに!」
女性から誘われるなんて、初めての経験だった。
言われるがまま、Tさんについて行き、とある居酒屋に入った。
僕は新卒採用で入職しているが、Tさんは中途採用で、僕より1つ年上だ。
「よ〜し! 今日は私が奢るからどんどん飲んじゃて!」
メニューを渡す時に、Tさんの手が、僕の手に触れた。
その時点で僕の顔は真っ赤だ。
「川原君って、普段お酒飲むの?」
Tさんがまっすぐ、僕の目を見てくる。
僕は体が硬直し、初めてTさんの瞳はこんなにも大きかったのだと知った。
「いえ、あまり飲みません。大学のサークルで、先輩に向かって吐いてしまったことがあって……」
「えっ⁉ 何それ!? うけるんだけど!」
職場では、綺麗な言葉遣いをしているTさんが、まさか「うけるんだけど!」という言葉を遣うとは思いもせず、逆にそれが今ここはプライベート空間なのだと認識した。
店員さんに、Tさんは慣れた口調で、「とりあえず生1つ。川原君は?」
生1つ……。
Tさんから「生」という、何だか妖艶な単語が出て、僕は変な気持ちになった。
僕は恋愛経験が無いに等しかったが、そのあたりは大学生時代にビデオレンタルショップでアルバイトをしていたので知識はあった。
「川原君? 何飲むの?」
「あっ、え~と、え~と、あ、カルーアミルクで」
「ぷっ! 嘘でしょ⁉ 女子みたい! あっ、嘘、嘘。いいの、いいの。好きなの飲みなよ」
「あっ、はい。すみません……」
暫くすると、別の店員さんが生ビールとカルーアミルクをテーブルに持ってきた。
僕の前に生ビール。
Tさんの前にカルーアミルク……。
「まぁ、そうなるよね」とTさんはクスクス笑いながら、生ビールとカルーアミルクをひょいと交換した。
「じゃあ、乾杯! 今日も仕事お疲れ様!」
Tさんはそう言って、僕の小さなグラスが割れそうなぐらいにガツンとグラスを合わせ、グビグビっと勢いよく生ビールを飲んだ。
「あ〜、美味しい! たまんない〜!」
Tさんの唇についた泡がはじける。
プライベートのTさん。
僕の胸はキュッとなった。

 楽しい時間とともに、Tさんの顔はピンク色になった。
僕は茹でダコのように真っ赤だと、Tさんはケラケラ笑う。
「あっ〜、面白い。川原君ってさ、彼女いるの?」
「え!? 彼女ですか? いるわけないじゃないですか。大学生の時に初めて彼女ができましたけど、沖縄旅行の初日に『私、好きな人がいるので別れてほしい』って言われたんです。あと残り2日間最悪でしたよ……」
「何それ? うけるんだけど!」
(※その模様は、私、川原の処女作『みんな気がついていないだけ』に収録)
あっと言う間に2時間が過ぎ、僕は酔いがまわり、トイレに入った。
自分でも驚くぐらい、真っ直ぐに歩けず、男性トイレの個室に倒れ込むように入った。
吐きそうだが、うまく吐けない。
頭はグラングランと重く、床に座るのもなんだから、とりあえず便座に腰掛けた。
(しまった~、飲みすぎた……)
ふっ〜っと、吐く息があたたかい。
何だか、急に眠くなってきた。
……ピー、シュー!
「!!」
僕のお尻に生ぬるい何かが直撃している。
「あ! あ! あ!」
肘で、ウォシュレットを押してしまったらしい。
『ビデ』という箇所が赤く光っていた。
しかも何だかムーブして前後に動いている。
僕はパニックになり、ウォシュレットのボタンをいくつも押しまくった。
「あ、あ、あ……」
ようやく止まった。
ポチャン、ポチャンと水がしたたる音がする。
『古池や蛙飛び込む水の音……』
なんて、優雅にしたっている場合ではない。
この状況……最悪だった。
僕のカーキ色のチノパンは、局部だけ水で濃くなり、完全に失禁したようなフォルムとなっている。
(あ〜、最悪だ……)
どうしよう。
この緊急事態。
学校でも習っていない。
方程式も古文読解も、保健体育も役に立たない。
(クソっ!文部科学省め!)
と、とりあえず、拭かなくてはと誰もいないのを確認して、洗面台のペーパータオルを何枚も取って拭きまくる。
さっきまで、あれだけ頭がグラングランしていたのに、今はしっかりと局部に集中できていた。
(もう! 全然だめだ!!)
そうしているうちに、騒ぎながらトイレに入ってくる男が2人。
僕は壁のほうを向き、しらを切った。
(やばい……)
とりあえず、大量のペーパータオルをパンツとチノパンの間に入れ、急いでトイレを出た。
ここから、誰にも見られないようにTさんのいるテーブルまで戻らないといけない。
後ろからは、さっきの男2人がトイレから出てきてしまうだろう。
あの男は、おしっこが早そうな顔をしていたし。
なんだ、ここは、居酒屋ではなく何かのテーマパークか?
僕の神経は全集中し、ミッションインポッシブルのテーマ曲が流れる。
サッサ、サッサ、サッサ……。
うまくいった。
「遅かったね~、寂しかったよ~」
Tさんの言葉に、僕の心は完全に奪われている。
「す、すみません」
その後も、下半身のペーパータオルに神経は奪われ、Tさんの話は上の空で時刻は22時をまわった。
「あ〜、もうこんな時間。そろそろ出ようか」
Tさんが伝票をとり、
「よいしょ」と立ち上がった。
だめだ、ペーパータオルを内側から押しあてていたにもかかわらず、僕のカーキ色のチノパンは局部だけまだ濡れている。
とりあえず、Tさんの後を股間部分を隠しながら、ついて行った。
店の外に出た。
Tさんが「風が気持ちいいね〜」と大きく両手を広げる。
ジメジメした、夏の日中に比べて、この夜風は気持ちが良いでしょう。
僕は、少し寒いぐらいです。
上は股間を隠せないポロシャツと、下はこの通りビシャビシャなのですから。
「川原君、この後カラオケでもいっちゃう? 大きな帆をたてて〜♪ あなたの手をひいて〜♫」
Tさんは僕に肩を組み、僕の手を取って歩きだした。
こんなシチュエーション、夢のようだ。こんな状態でなければ……。
Tさんが何かの異変に気がつき、視線が下におりた。
「あ……」
「……すみません、これには訳が……」
「ごめん、川原君疲れているよね。ごめん、ごめん、お疲れ様」
Tさんはパッと手を離し、引きつった顔をして去って行った。
それもそうだ。
抱きついたその男が、股間をもっこりさせ、失禁までしているのだから。
この上なく、さぞ気持ちが悪かったでしょう。
今の私だったら、
「ウォシュレット作動して、漏らしたみたいになっちゃったよ〜」などとTさんに笑ってもらえただろうに、当時の「僕」はうぶだった。

 Tさんは今どこで何をしているだろう。
あの日に、僕の股間を綺麗に照らした月を、今夜一緒に見ているだろうか?

今夜の月も綺麗ですね。
憎たらしいぐらいに。

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